POWER of LIFE 10 YEARS
〜それぞれのPOWER of LIFE〜
2020年2月22日(土)&23日(日)
12:00~19:00
代官山 AL
〒150-0022東京都渋谷区恵比寿南3-7-17 KiKi Bldg. 1F
03-5722-9799 / info@al-tokyo.jp
http://www.al-tokyo.jp
【会期中イベント】
<DAY 1> 2月22日(土)
13:00~14:00 [PHOTO SESSION]
ATSUSHI × 笠井爾示
「踊りと写真」
14:00~14:30 [TALK]
為末大 × ATSUSHI
「今までのPOWER of LIFE」
16:00~17:00 [TALK]
澤野大地(男子棒高跳選手) × 為末大
「夢を持ち続けること」
18:00~19:00 [LIVE]
THE LICO × ヤマグチヒロコ × TREELENCE
「LIFE」
<DAY 2> 2月23日(土)
13:00~14:00 [KIDS ART SESSION]
高橋有紀子(La Rainbow project)
「子ども達の自由な表現」
16:00~17:00 [TALK]
高橋一聡(一般社団法人 Do One Good 代表理事) × イズミカワソラ(音楽家/犬猫保護活動人兼トリマー)
「犬猫そして動物達との共存」
18:00~18:30 [TALK]
為末大 × ATSUSHI
「これからのPOWER of LIFE」
18:30~19:00 [ODORI]
ATSUSHI
「POWER of LIFE」
【展示アーティスト(50音順)】
ATSUSHI TAKAHASHI
アミタマリ
笠井爾示
小坂淳
コセリエ
TAKAHIRO TAKINAMI
NAOKI ISHIZAKA
BIONIC PLANTS
平間至
MOTE SINABEL AOKI
入場無料
イベントは全て事前予約無しのドネーション(寄付)制となります。
入場制限がかかる場合がございます。その際はご了承ください。
両日共にフリーマーケット開催とコーヒー販売があります。
0歳から入場可能です。
ぜひお越しください。
“POWER of LIFE”とは
まず、兎にも角にも“POWER of LIFE”とは何なのか。一体どういった実態を持プロジェクトなのか、そのことから触れていきたいと思う。
このプロジェクトは、ダンサーであるATSUSHIが発起人となり、簡単に言えば「『生命』がいかに美しく素晴らしいもので、そして儚く尊いものなのかを世間に発信していく」という、とてもシンプルなテーマを掲げて活動しているプロジェクトである。
しかしそれらは誰が言わずとも、人間であれば必ずや持ち合わせている感情であるだろう。なのになぜATSUSHIは敢えてこのテーマを掲げたのか。
それは、「生命が尊いものである」ということを、我々人間はどこか他人事のように軽視して過ごし、誰かが提唱しなければならないほどに深刻な実状があったからだ。
ATSUSHIはその現実について強く危機感を感じ、自分が出来ることとは何なのかと自問自答を繰り返した。
そこで、心に湧いたこと。
それは「ダンサーとして、いわば『表現者』として、自分にしかできないやり方で生命への思いを紡いでいく」ということだった。
そして彼は酷い現実を変えるため、2009年、このプロジェクトを立ち上げた。
「人間、必ずや持っている感情云々…」なんて言いつつも、具体的に我々は「命」に対して何か行動しているかと問われれば、大半の人は“NO”であろう。
しかしそれは仕方がない。それぞれに生活があり環境も違い、何かしら行動するには様々な制限なんかもあるだろう。加えるなら、このことはそもそも押し付けることではないし、ましてや強制することでもない。
ということは、やはり誰かが実際に行動しなければ、現実に状況は何も変わらないということである。
誰かが実行しなければ変わらない。であれば自分がやるだけのこと。
そしてATSUSHIが最初に取り組んだのは、犬や猫の「殺処分」についての問題だった。
今でこそ行政によっての“殺処分ゼロ活動”なども頻繁に耳にするようになったが、当時はその問題が日の目を浴びることすらなく、むしろ当たり前として扱われるような酷い実態があった。
しかしATSUSHIは、到底当たり前とは思えないその現実にいち早く疑問を抱き、世間に警鐘を鳴らす活動を始めた。人間の都合で絶たせる命なんて、この世にひとつとないと世間に伝えたかったからだ。
その問題に取り組む中で、実際にATSUSHIがきっかけとなり救われた命も複数あった。
とにかく自分ができることは何でも行う姿勢で、様々な命と向き合っていったのだ。
そうして各地のシェルターと連携し活動を行っていくが、やはり一人では出来ることが限られてしまうという、根本的な壁があった。
だからこそ大事になってくるのが、プロジェクトの広報活動である。
幸い、このような活動や年月そのものが実績となりやがて信頼へと繋がって、プロジェクトに共感、賛同する人が徐々に集まっていった。加えるなら現在も進行形で、ATSUSHIの元に人が集まってきている。
だから今も発足当初と変わらない想いを掲げて、この活動を継続することができているのだ。
それは紛れもなく、ATSUSHIの生命への真摯な想いが様々な人に伝わっているという証拠であるだろう。
そうしてATSUSHIは、プロジェクトに賛同した仲間と一緒に活動を続けていくのだが、賛同者であるアスリートやミュージシャンからは、それこそ独特な「命の魅力」があることを感じていた。
そこにはやはり、彼らしか発することのできない“生命の輝き”があったからだ。
そこで ATSUSHI が本来伝えたかったことが、点から線へと徐々にはっきりしていく。
それは「動物、人間」などと隔てている感覚こそがそもそもこの世に不要なものであり、それらのことが、自らが強く発信したいことなのだと感じたのだ。
アスリート。
それは1秒、1cmの世界で戦ういわば「人間の限界」を目指す挑戦者である。
こんなことは敢えて言うまでもないのだが、アスリートではない我々から見ても、彼らの敵は他の選手ではないまさに“自分自身”であるということは想像に易い。
その至高のライバルである自分と戦い続け、限界まで追い込む『強い精神力』、そしてその精神力が磨き上げた『肉体』にこそ、至極人間らしい命の輝きがあるだろう。
彼らが日々取り組む、命を削るほどに尊い努力は、彼らを内から輝かせる生命力となってその見た目からも自然と発せられるのだ。
ミュージシャン。
彼らもまた特別な存在である。何と言っても、自らの『生の体』を使ってメッセージを放つことができるのだから、いわゆる「普通」とは違う存在であることは当たり前である。
そして彼らが、その生身からメッセージを放つと不思議なことが起こる。
それは耳ではなく心が、聴き手の心『自らが』そのメッセージを拾いたがるのだ。
そうすると必然的に感情が揺さぶられていく。このことは、単に耳だけで音を聴いているという簡単な言葉では片付けられないだろう。
目には見えないものであるのに、確実に何かが自分の心に入り込み、潜んでは根付いていく。
これはまさに、伝えるべきことがある人間にこそ与えられた「才能」という使命ではないだろうか。
ATSUSHIはその使命こそが、人々に訴えかけることのできる『音色という生』だと感じた。
まとめていえば、『命とは様々な場所に潜んでいる』ということに気づいたのである。
幸いにも、ATSUSHIはそのことを伝えるための可能性が大いに秘められている仲間たちに囲まれた、恵まれた環境にいた。 改めて思えば、それすらもはや必然だったのかもしれない。
そして今までの活動の中で、シンプルに分かりやすいことであるのになかなか理解を得られなかったことがある。
それは「動物も人間も、命あるものはいずれも同じフィールドで輝く尊いものである。だがしかし、決して平等に扱われない」ということだ。
しかし、これらに抗するために彼らからみなぎるこの「生命力」を発信することができれば、そういった当たり前ではない『残念な現実』への、気づきのヒントになるのではないかと感じた。
そうすれば「命」というものに隔てるものなど何もないということが必ず伝わる。
それは一歩ずつの紡ぎではあるが『確実な足跡』として、理解してもらえるに違いない。
それこそが、表現者としての自分ができる命を紡ぐ方法なのだと、ATSUSHIの心に確信的に湧いたのだ。
殺処分などの救済活動の中で触れた尊い命たちと、自分の周りに集う、まさに人間らしい「生命の源」とも言える仲間たち。
それらの「共存」そのものをテーマに掲げれば、これに勝るメッセージはない。
こうして、発足から様々な道順を経た上で今の POWER of LIFE の基礎としての形を作り上げた。
大まかではあるが、これらがプロジェクトの実態だ。
具体的な広報活動
さて、「命を守りたい」というテーマを掲げたプロジェクトだということは漠然と伝わったと思うが、そのことを一体どのように発信しているのか。
要となる広報活動とは、具体的にどのようなものなのか、次はそのことに触れたいと思う。
まず、彼らの広報活動とは、わかりやすく二本柱で構成されている。
ひとつめは、「見る人それぞれの感覚を刺激して、心を動かすことを目的とした 『インプロビゼーション(即興)』でのライブ活動を行うこと」。
もうひとつは、「アニマルシェルター(※1)やこのプロジェクトに賛同したアスリート・ミュージシャンを、同じく活動に賛同した写真家が、テーマへの想いを込めて写した写真作品を掲げ、パネル展を開催すること」。
このふたつが、プロジェクトの主な活動内容だ。
※1 殺処分されることになってしまっていた子犬や子猫などを引き取って保護する施設
まずは前者のライブ活動について。
もちろん「命」をテーマにライブが行われるのだが、それを“インプロビゼーション”形式としたのは何故なのか。
その答えはひとつ。
「受け手側が、それぞれの感情を、それぞれに抱いてもらいたい」と考えているからである。
POWER of LIFEが発信したい命への想いというものは、決められたものではない「生きたメッセージ」の中にあると考えている。
二度とはない、いわば「儚い空間」を創り上げることで命の尊さを響かせることができると考えているから、それがまさに即興という手法にしっくりとはまるのだ。だから彼らはこの方法に拘って取り入れている。
確かに、自分で感じて考えた分、より深く感情を心に留まらせることができるであろう。
それらの全てが 『正解のメッセージ』であり、感じてもらうことこそが狙いであるから、むしろ、プロジェクトの理念から行くとこの方法以外の選択肢は、端から見ていても考えられない。
このことからわかるように、ATSUSHIは「放ったメッセージは、全て受け手側に委ねたい」という姿勢をとっているため、何かを押し付けたいとは考えていない。
あくまで自然な形で受け手の心の中に入り込み、命に対する感情をゼロからイチへと引き上げようとしているだけなのだ。
その『イチ』に引き上げることこそが広報活動の意味であるから、即興という『生』に拘り、繰り返すだけのような、決まった形のライブは行わないのである。
そう考えれば、息をしているだけでも過ぎていき、止めることのできない『時間』、そして秒単位で消耗していく尊い『命』とリンクする部分があるとわかっていただけるのではないだろうか。
次は、後者のパネル展に関して。
こちらは、プロジェクトに賛同した写真家が、あらゆる角度から「生命」をテーマに撮影した写真作品を、大型のパネルにして展示するものである。
まずはそのテーマのひとつ、アニマルシェルターでの写真について触れたいと思う。
これは、実際に殺処分されてしまう寸前だった動物たちが一時的にシェルターに保護され、そこで過ごしている『現実』を切り取ったものだ。
当たり前ながら、そこに写るのは普段想像するような元気な犬たちの姿ではない。とても寂しそうな瞳でファインダーを見つめる、純粋で美しい命の姿だ。
もっとわかりやすく言えば、人間の不都合、身勝手さゆえに、訳も分からないまま生きることを奪い去られそうになった命の姿がそこに写っている。
この説明を読み、その様子を想像しただけでも胸が苦しくなってはこないだろうか。
これらは、殺処分の実状を知らない人からしたら目を伏せたくなるようなリアルな作品だが、だからこそ作品からは生命のパワーや、写真家、そして被写体からのメッセージが強く放たれている。
そして、その写真の合間に飾られるのが、同じくテーマのひとつである賛同アスリート、並びにミュージシャンの『生命力』を切り取った作品である。次はこのことを説明する。
これは先述の通り、ATSUSHIが感じた「彼らが放つ生命力」を、写真家がそれぞれに心で嚙み砕き、彼らが思うその瞬間を切り取った写真が、アニマルシェルターの写真とともにランダムに掲げられる。
そうすると不思議なもので、ATSUSHIが伝えたいメッセージが、おおよそ正確に伝わってくるのだ。
そんな姿を実際に目にした人々の様子を見ると、たった一枚のパネルを前にして、少なくとも分単位で足を止める人は多い。
また、もう一度同じ写真を見返しに行くという人も少なくはない。
それは、それぞれの心に何かしらの響きがあったということであろう。
そのことを表すかのように、パネル展での雰囲気はどこか荘重な雰囲気が漂う。
しかし、このように写真ほどわかりやすく、また写真ほど酷な事実はない。
それはある意味、前者の“即興ライブ”の趣旨とは一見して真逆のようにも思えるだろう。
だが事実を目にすることで生まれた感情は、それこそ受け手の心次第とも言える。
だから、真逆の思想と思われるこのふたつの広報活動は、やはり同じレール上にあるのだ。
活動を続ける狙い、プロジェクトの願いとは
「命の価値は平等であり、粗末に扱う命などこの世にひとつもない」。そんなことは誰かに言われて理解するものでもなければ、いつの時代であっても普遍的なものである。
しかし、それぞれが置かれた環境や運命だけは、自分だけではどうにもできないことがあるということもまた事実であろう。
だからATSUSHIは、そんな境遇に置かれてしまった「平等に大事なはずの、不遇な命」の存在を、できる人ができるときに、できることを行えば救えるという信念を持ってこの11年活動を続けてきた。
「命とは輝かしいもの」ということをその肉体で表現し続け、続けることでその存在を知り、同調してくれる人の幅を広げていけばそれによって救える命も必然的に増える。
その守れる命の数をひとつでも増やしていくということが、ATSUSHIと賛同者の願いのそのもの。だから、継続していくことこそが大きな意味となっていく。
これまでの活動録(抜粋)
この11年の活動の間には、良くも悪くも大きな出来事がたくさんあった。その中でもやはり、東日本大震災については語るに足る大きな事柄であるだろう。
2011年3月、東北地方で発生した東日本大震災。未曾有の事態に日本中が震撼し、過去に例を見ない、 心痛ましい歴史的な大災害となってしまった。
人々は戸惑い、絶えず発生する二次災害に様々な情報が錯綜し、被災した東北地方のみならず、各地で大きな混乱を来したことは、あの時を経験した誰もが、一生忘れられないような忌まわしいものとなってしまったであろう。
そんな中ATSUSHIは、自らのその目で正確な実情を把握するため迷いなく現地へと向かった。それは、自分にできる支援を、的確に判断するためだ。
そしてあれから9年。
ATSUSHIは、ほぼ毎月のように、そして毎年3月には必ず東北地方を訪れ、被災されてしまった方々と今も変わらず交流を図っている。
それは震災発生当時、この先も心を寄せ変わらない支援をしていくということを決め、そして現地の方々ともそのように約束をしたからだ。
「いつも心はそばにある」ということを、言葉だけではなくその肌でしっかりと実感してもらいたいから、ATSUSHIは行動で気持ちを示しているのだ。
そのことを表す事柄として、震災の翌年から毎年塩釜市で開催している『GAMA ROCK FES.』がある。
これは、共同主催者として、写真家・平間至と共に開催しているロックフェスだ。
震災から約1ヶ月後。塩釜で炊き出しとライブを行って以降、両者は1年で50回以上現地に足を運び支援活動を続け、地元の方と様々な交流をし、互いの関係を深めてきた。
その継続こそが塩釜市のみなさんだけでなく、ついには同市の行政からも信頼を得ることに繋がり、役所全面協力のもと、現在まで途切れず毎年開催され続けている。
ひとつ伝えておけば、『ロックフェス』とはいうものの、もちろん、一般的にイメージされるものと趣旨は異なる。
あくまで“地元密着”ということを一番に考えている彼ら。
そのため大人から小さな子供までが楽しめる、『塩釜“地元おこし”の大きな夏祭り』なんて言えるほどに、手作り感の溢れたハートフルなフェスなのだ。
地域のみなさんが手作りされたフラッグが飾られていたり、塩釜名産のお菓子が配られたりと、運営に参加しながらお客さんにもなれるという所に、お互いにとっての「支援」と「楽しみ」が同居している。
そのように、参加者全員で距離感が近く一体感のあるこの空間は、もはやPOWER of LIFEの思想を大きく具現化したフェスと言えるかもしれない。
正直、人間口だけなら何とでも言えるし、その場凌ぎの言葉を使ってしまう時もあるだろう。
しかし、それでは何の意味も生まない。
もちろん、言葉だけでも嬉しいという捉え方もあるかもしれないが、実践することに勝ることはない。
もとよりATSUSHIが伝えたいことはそもそもそんな次元にはなく、やると決めたことをやっているだけに過ぎないのだが、そのことが被災した皆さんの心に寄り添えているかどうかは、実際にその時の活動を写真なり、レポートなり、そしてこの『GAMA ROCK FES.』に訪れ肌で感じていただけたら、きっとこれ以上の説明などは不要であると思う。
このように、守るべき命を守れる人が守っていきたい。
そして、守った命はこの先も守り続けたい、そのことを一人でも多くの人に共感してもらうためにPOWER of LIFE は活動を続けている。
本当の意味での支援とは
広報活動として触れた、彼の全霊を込めたダンスと、賛同しているアーティストによる即興セッション、そして、アニマルシェルターや、アスリート・ミュージシャンからみなぎる『生命力』を、それぞれの写真家が切り取った写真作品の数々。
これらはどうしても、実際に訪れた人でなければそのメッセージを芯から感じることはできない。
そこには、このようなテキストだけでは伝えきれない、強烈なメッセージが放たれているからだ。
だからこのプロジェクトの活動には、とにかく足を運んでもらうことが重要となる。
そもそも「命を大切にしたい」と思うことに、ルールやマニュアルなどの難しいことなんて何ひとつない。街に設置された募金箱を意識することだけでも、それも支援につながる一歩と言えるであろう。
しかし、命に対しての「インスピレーション」を感じ、一歩先へと歩むためのきっかけは、やはり日常生活を送っているだけでは残念ながら見つけにくい。
だから、見過ごせないような深刻な事態が、現実として起こり続けているのだ。
< 何かが心に触れた人が、本当の意味での『命の尊さ』に気づいて行動して欲しい >
ATSUSHIと賛同者のこのメッセージを実際に受け取り、そのことを身を持って理解できた時、はじめて上辺だけではない心からの支援となると、彼らは確信している。
そして、そのことこそが POWER of LIFEの求めるべき“真髄”なのである。
最後に
POWER of LIFEの活動によって考えるきっかけそのものが出来た時、やっとひとつの蕾を芽生えさせたと言える。何度も言うが、そのきっかけという蕾を心に宿らせることこそが、彼らの真の活動意義だ。
そして、ここではっきりと言う。
口先だけで行うような活動は、POWER of LIFEの中にはひとつとして存在しない。
この意味は、ATSUSHIの性格を知っている人であればすぐに納得できることであろう。
それは、ATSUSHIの心の内そのものが、もはや“POWER of LIFE“を表すものと言えるから、だから『人間、動物』などという無意味な隔てを取っ払うべく、この先もずっと変わらない想いで、まるで息をするように当たり前のごとく活動は続けられて行く。
もしも、きっかけがありこのプロジェクトの活動に足を運ぶことになったのであれば、そしてその場で何かしらのメッセージを拾うことができたのであれば、ここで話していたことがスッと紐解けるように納得できるであろう。
縁がありこの活動を知り、少しでも興味が湧いたのであれば、是非あなたの意思でこの活動のことを掘り下げ、感じたままに今後の活動を見守ってほしい。
そしてもし「自分も活動に参加したい」という気持ちが心に浮かべば、プロジェクト的にはそれに勝る喜びはない。
今日明日、これから先どんなことが起こるかはわからない。
時として、生きていくことの難しさに直面することもあるだろう。
もちろん嬉しいことや楽しいこともあるはず。
反対に、胸が張り裂けそうになること、悔しくて泣けてしまうことだってあるだろう。
しかし、生きているからこそ、様々な気持ちを持つことができる。
そのことはひとつの命に平等に与えられたかけがえのないギフトであり、それらを全うできない不遇な命はこの世にひとつとしてあってはならない。
とにかく『生きている』ということだけで、そのことがどれだけ素晴らしいものかということを、ATSUSHIはこれから先もずっと、この活動を通して、そしてその身体を使って表現し発信していく。
この活動を目にしてそのことに気付けたら、自ずと賛同したいという気持ちが湧いてくるということを、彼らは確信している。
そうして、かけがえのない数々の美しい“命”を守っていくだろう。
だから今日も「平等に美しい、ひとつの命のために」この活動を続けていくのである。
text 藤島麻里子